るし活@輪郭融和のレリジョン

声が楽器のひと さいとうるしかの人間活動について ご報告します

ぼくにとっての歌唱行為考察

外国で ちやほやされたいバンドをやってます
るしかです

ぱひゅーむの記事を読みまして
北米のエンターテイメント市場でも
支持が熱いのだな、と

最近では自分にとって
この『小次郎』というバンドとは
なんなのか

自分にとって 歌唱行為とはなんなのか
深化させている日々です

『小次郎』は 再結成なわけですが
過去よりやりやすいと思う点があります

自分のなかでこの方向に進みたい
というのが昔よりはっきりしてることと

それをメンバーに伝える手段があると
自覚していることです

自分の音楽活動の中で
核に鳴っている
即興表現を
今回では強く取り入れています

ここ
胸なのか頭なのかわかりませんが
メロディは常にあって
いつでも取り出すことができます

なので
自分の即興歌唱の1番のオーディエンスは
自分だということになります

おれがこんなに好きなんだから
好きになってくれるひと
きっと他にもいるだろう
というのが動機ともなっています

即興の意味を持つ
インプロバイズド

語源はラテン語
前もった準備のない
というものです

ややオカルティックな考えとして
すべては準備されてきた出来事
という超越系の思考を
自分は採用しているわけですが

それはそれで
あるときには窮屈で
前もって準備されていない
という建前の行為に
自分は惹かれるのだなあ
と思っています

大体相反するものに惹かれます
アンビバレント

漢字のことを考えるのが好きで
というか 語源に興味があります

今 準備という言葉を調べたら
準 は みずもり 水平か否か調べるための道具 
だということです

普段は土木の現場にいることも多いのですが
水平である ということは
常に大事だったりします

水平であること
そこからどのくらい傾いているのか
傾けるのか

まさに基準の準です

ここまで考えると
自分がやっていることは
準備がない なんてことは
全然ないよな
と思います

実演するための 一部の基準について
打ち合わせをしない

くらいかな

なので どちらかというと
編曲 アレンジに近いのかな

旋律を常に創造することができます

これは 作曲をし続ける
ということになります

主メロディがあれば
ハモりをつけ続けることができます

これは編曲をし続ける
ということです

今のところ パッケージング能力は
あまり自覚はありません

でも時代的に過去とは違った
パッケージの多様性については
理解があるつもりです

自らの様々なタームで
ロックに強い刺激を受けているので
そんな表現者であれるよう
ここに記しておきます